2000年。晴天の昼下がり、一握りの初(もみ)から始まった物語があります。
それは下呂市荻原町宮田の小さな棚田に、突然姿を現しました。
人の稲オタクが、コンとカリから飛び出たひときわ背の高い、十数本の穂を偶然に見つけました。男はその初の巨大さに驚きました。
「稲が出したオーラに引き寄せられた」と話します。
それが、男が後に龍の瞳、品種名「いのちの壱」と名付けた、日本を代表する美味しい水稲品種の誕生なのです。
翌年、男は試験栽培した龍の瞳。(品種名いのちの壱)を炊きました。するとどうでしょう。ポッポっと出てきた湯気は瞬く間に部屋中に芳しい香りを充満させました。ふたを取るとたくさんの「カニの穴」があり、混ぜるとすぐに釜に薄い糊が付きましたやつやしたご飯を一口食べた男の体に、不思議な衝撃が走りました。
甘くて香りが良く、今までに食べたことのないご飯の味。
田んばの「いのち」が詰まっている感じ。
男の人生の夢だったことが、はち切れんばかりに濁きあがりました。
これで中山間地を元気にしよう、低農薬栽培に拘りぬいて環境を良くしょう!
男は広く声をかけ仲間が集まりました。その数は100人以上に広まりました。
想いは一つです。お客様に美味しくて安全な、お米を食べていただきたい。
食卓が笑顔に包まれて欲しい、元気になって欲しい、幸せになって欲しい。
龍のの生産者は、「匠(たくみ)」を目指すようになりました。
稲が病気にかかっていないか、どうしたら美味しいお米ができるのか?と足しげく田んばに通い会合に参加します。
龍のを食べられた方は、「日本人で良かった」と話します。
「美味しいね、美味しいね」「匠」と食卓が結び付いた喜びの瞬間です。